こんにちは。
真丸特殊紙業株式会社 新潟総務部の田中です。
8月に入り、暑さが一層厳しくなってまいりましたね。涼しい場所で適宜休憩し、ナトリウムと塩分を含んだ水分を摂取して夏を乗り越えましょう。
さて、夏と言えば何を思い浮かべるでしょうか?夏休み、お祭り、お盆など様々ありますが、筆者は花火を思い出さずにいられません。
今回はそんな「花火」についてのお話です。
花火のルーツは古代中国の狼煙とされています(諸説あり)。主に通信手段として用いられてきましたが、火薬技術の発達により花火の製造が可能となりました。
日本で花火を使用したとされる最古の記録は室町時代です。足利義満の死後、停止していた日明貿易を再開したことから大陸の文化が入ってきたと考えられています。
江戸時代になり平和が訪れると、現代で言う花火師が現れました。有名なのは「玉屋」と「鍵屋」です。花火を観覧する際の掛け声としても有名ですね。掛け声の由来は、両国橋の上流から玉屋、下流から鍵屋の花火を打ち上げていたからだそうです。
現代で有名な花火と言えば、日本三大花火である「大曲全国花火競技大会」「土浦全国花火競技大会」「長岡まつり大花火大会」を思い浮かべる方が多いでしょう。その中でも大曲と土浦は技術力を競う大会ですが、長岡だけは異なります。それは何故か?少し長岡の歴史を辿りましょう。
1945年8月1日22時30分、新潟県長岡市は空襲を受けました。空襲は8月2日午前0時まで続き、死者数は約1500人にのぼりました。終戦2週間前の出来事です。
市街地は壊滅状態となりましたが、市民は慰霊と復興を願い、翌年の8月1日に戦災復興祭をおこないました。これが長岡まつりの前身です。2004年以降は、新潟県中越大地震からの復興への願いも込められています。
2011年、東日本大震災の際には全国の花火大会が自粛により中止する中、長岡花火は元々慰霊と復興の願いを込めた花火だということで開催されました。
長岡まつりは毎年8月1日~8月3日に開催します。このうち花火大会は8月2日~8月3日の2日間です。8月1日には、空襲の開始時間である22時30分に慰霊の花火が3発ほど打ち上がります。これを「白菊」と呼んでいたのですが、現在は「慰霊と平和への祈り」と呼ぶそうです。
何故急に長岡花火の話を始めたかというと、筆者の出身地が新潟県長岡市だからです。就職を機に地元から離れましたが、それ以前はほぼ毎年長岡花火を見ていました。三尺玉が打ちあがると衝撃波によって家が少し揺れるため、家にいる時はよく時計代わりにしていたものです。そのため長岡花火は身近なものであると同時に、打ち上げ花火というのは全て何かの弔いや復興を願うためのものだと思っていました。その限りではないと知った時、とても驚いたのを憶えています。
筆者が学生の頃は無料で見れる箇所が沢山ありました。友達と場所取りに奔走していたのは良い思い出です。しかし2022年から全席有料化されたり、白菊の名称に加え8月1日の名称が「前夜祭」から「平和祭」に変更されたり、たった数年でここまで変わってしまうのだと悲しくなってしまいました。これも時代の変化なのでしょうか。更に、地元を離れてから初めて中継で花火を見たのですが、画面越しだとこんなにちっぽけになってしまうのか!と衝撃を受け、同時に現地で見たときの迫力が恋しくなりました。
皆様の地元でも、夏にはお祭りや打ち上げ花火をするところが多いのではないでしょうか?特に地元から離れて暮らしている方は、帰省した際地元の催しに顔を出してみると新たな発見や良さが分かるかもしれませんよ。筆者は今年、長岡花火の期間に帰省します。
熱中症対策など気を付けねばならないことも沢山ありますが、人間の生み出した文化で夏という季節を楽しく過ごしましょう。